酔って昔話をするのは歳をとってきたからか?
おばあちゃんの神社
母方の実家は散髪屋をしていました。
祖父は私が生まれる前になくなっていましたが、
生粋の『髪結いの亭主』だったらしく、床屋の二階で花札や麻雀三昧。
出入りの行商は珍しいものが入ると、「旦那さんに」と勝手においていく始末。
おばあちゃんは私を「死んだじいさんにようにとる」と可愛がってくれましたが、
口をすいぃにして*1「かけごとはせられんぜ」と繰り返し、
遺言として今もしっかり守っています。
おばあちゃんは私が小学校に上がる頃に床屋はお弟子さんに譲って隠居。
どういった伝手か、近所の神社のお守りとして社務所らしきところに
住込んで暮らし始めました。
その神社は通学路沿いにあったので、
学校帰りにおばあちゃんのところに寄り道するのが日課でした。
鎮守の神様の本殿と拝殿、お稲荷さんと大黒様かなにかの小さなお社があって、
楠木と榎木の大木が10本ほど、銀杏の若木と雑木が何本かある
こぢんまりした境内でした。
おばあちゃんは毎日境内を掃き清め、落ち葉を焚き、
本殿の屋根裏に住み着いている数十羽の鳩に餌をやるのが日課でした。
焚き火を大きくせず、燻らせずきれいに燃やすのは熟練の技です。
鳩たちはお婆ちゃんが手鍋に餌を入れるジャラッという音でたちまち舞い降りてきて
鳩使いの弟子の私の手にも次第に乗るようになりました。
境内は本当に子供の天国で、
拝殿の広い板の間は遊び放題。
狛犬も灯篭も登り放題。
拝殿の大屋根にボールを投げ上げて落ちてくるのを取り合う『屋根受け』は
男の子たちの大好きな遊びでした。
かくれんぼや鬼ごっこはもちろんのこと、
『陣屋とり』*2や『釘たて』*3などの、神社という場所を生かした遊びをしていました。
今も
田舎に帰ると立寄るのですが、
大屋根は普請されて赤トタンから銅葺きの立派なものに、
トイレもきれいに建て替えられましたが、
私が17のとき他界したおばあちゃんもいないし、
元気に遊んでいた子供たちもどこにもいません。